第一期ナミダロジック(ナカジマ、山崎義則、鹿内武蔵、川田寛子、仁科希世彦)
結成前夜(2011年春~夏)
2011年3月 有刺鉄線解散
鹿内武蔵(ベース)、山崎義則(ギター)が所属していた有刺鉄線が解散。残った2人はすでにこの時点で「女性ボーカルが歌う、変拍子やポリリズムを取り入れた、青春をテーマにしたバンド」という、次期構想があった。またこのときすでに、ナミダロジックというバンド名も大枠で決まっていた。
2011年4月~8月 第一期メンバー確定
新メンバー探しに奔走。最終的に、ナカジマ(ボーカル)、川田寛子(ピアノ)、仁科希世彦(ドラム)を加えた5人でメンバー確定。これが第一期ナミダロジックとなる。川田と仁科は、鹿内と山崎が有刺鉄線やオリンポス16闘神(鹿内が所属)で対バンしたことがあった。
「おまえらの青春をプロデュースしてやる」というおなじみのコピーもこの時期に生まれる。
初ライブまで(2011年9月~2012年1月)
2011年9月~12月 ひたすらリハ
初ライブに向けてリハーサルを重ねる。有刺鉄線から引き継いだ「忘れな草」「サマーナイトシンパシー」「さよなら」「33℃」「いとしー人」を、女性ボーカル用にキーを変更しつつ、ピアノ入りバージョンとしてアレンジ。また新曲として「シチガツヨッカ」がこの時期に完成。
2012年1月28日 初ライブ
池袋Admにて初ライブにして初の自主企画である「青春プログレッシブナイト vol.1~こいつ動くぞ~」を開催。出演はブルボンズ、river(ロマンチック日本代表!!!)、Blacks、+桃尻東京テレビジョン+、中出し少年。会場はほぼ満員状態で、新規結成バンドとして上々のスタートを切る。Admには以後何度もお世話になる。
各地でのツアーと1stEP発売、そしてメンバーの脱退(2012年2月~9月)
2012年2月10日~2月11日 関西ツアーへ
2回目のライブとして、いきなり関西ツアーへ。大阪のAVENUE-Aと滋賀のB-FLATへ遠征する。大阪のイベントは対バンがまったく集まらず、いきなりのツーマンライブ。滋賀ではナカジマが食中毒に。
2012年春 レコーディングを始める
この時期より最初の音源発売に向けてレコーディングを開始。
2012年4月3日
池袋ロサにて、今は亡き麻央氏が率いるマオロスFと対バン。
2012年5月26日~5月27日 東北と北関東へ
5月26日、仙台enn 3rdで開催された「Re:Light MIYAGI 02」に出演し、パスピエと対バン。翌5月27日は栃木に移動し、宝積寺で開催された地元のライブイベントに出演。
2012年6月22日~6月23日 京都~名古屋ツアー
6月22日に京都MOJO、6月23日に名古屋TIGHT ROPEに出演。
2012年夏
この時期に「リフレイン」が完成し、実戦投入される。
2012年8月11日 大鳥居ClubEARTHへ
SEKAINOOWARIの始まりの地として有名な大鳥居のClubEARTHに初めて出演。CHEESE CAKEと対バン。
2012年9月8日 1stEP発売とレコ発企画、川田寛子脱退
この日より、1stEP「さよなら」のiTunesでの配信を開始。池袋手刀にてレコ発ライブを行う。対バンは、river(ロマンチック日本代表!!!)、裸足のヒトラーズ(愛知) 叫人Factory、錯乱坊主、廣瀬陽太(from オリンポス16闘神)。なかなかの客入りでイベントは成功。鹿内武蔵がこの日の出演直前にカッターナイフで左手人差し指を切り、病院で2針縫う。
活動は順調に見えたが、この日のライブを最後に川田寛子が脱退。後任探しが始まる。
第二期ナミダロジック(ナカジマ、山崎義則、鹿内武蔵、淺井耕介、松岡徹)
活動の停滞と新鍵盤、新ドラムの加入(2012年9月~2013年3月)
2012年9月 淺井耕介が加入するも停滞
後任の鍵盤として淺井耕介が加入。10月3日に新宿marbleにてライブを行うが、直後に仁科希世彦が脱退。活動は停滞期へ。ほどなく後任のドラムが見つかるものの技術面に問題があり一度のライブで解任するなど、数か月間ほとんど活動らしい活動はできず。
2013年2月 松岡徹加入
2013年に入ってからようやくメンバー探しに光明。経験豊富なドラマー、松岡徹が加入し、ようやく第二期の体制が固まる。3月9日にクォーターノートで松岡加入後の初ライブを行う。
2013年春
この時期に「千叉路」「八月のロジック」が完成し、以後のライブで演奏されるように。
第二期ナミダロジックの全盛期(2013年夏~冬)
2013年5月~9月 積極的な活動を展開
メンバー間の連携も飛躍的に高まり、積極的な活動を展開。7月より、下北沢のスタジオベイドにて、ワンコインライブシリーズの「下北沢スパイラル」をシリーズ開催。500円の入場料で音楽を楽しめるイベントとして、そこそこの成功を収める。シリーズ中は新人枠として、女子高生、女子中学生のバンドも出演。
また、高円寺ミッションズ、下北沢デイジーバー、新大久保クォーターノート、大鳥居ClubEARTH、初台ドアーズ、池袋ルイードK3などで積極的にライブ活動を行う。ナカジマのトレードマークである、メガネ+白ブラウス+ネクタイ+ショーパン+ニーソが定着したのもこの時期。
1stアルバム「星間戦争」に収録される「セツナセツナ」がこの時期に完成する。
2013年10~12月 初のサーキットライブ出演、音源を2枚リリース
10月5日、大鳥居ClubEARTHに出演。
そして10月12日(土)、大阪で開催されたミナミホイール2013に出演。ヒルズパン工場でライブを行う。同会場のトップバッターの荒川ケンタウロスの演奏時、入場規制がかかった超満員のフロアを見てメンバーは戦慄。初めてのサーキットライブ、そして大阪のステージを満喫し、そのまま深夜まで飲み散らかす。
なおこの日には、2ndシングルとして11月27日発売された「忘れな草」が、会場限定で先行発売された。
翌朝、メンバーはレンタルしたハイエースで帰路につく(大阪で商談があった鹿内は別行動)。このとき、山崎が十数年ぶりに車を運転したり、道中でガソリンが残り1%くらいになるものの、なんとか乗り切るなどなかなかの珍道中に。
10月19日(日)、尚美学園大学の学園祭にて、音楽サークル「自営業」のライブに出演。
12月11日、3rdシングル「八月のロジック」をリリース、同日に初台ドアーズでライブを行う。
ライブを定期的に重ね、活動がライブハウスにとどまらず、さらに音源を連続リリースするなど、バンドに勢いがあったのがこの時期。
なお、この時期はメンバー間の時間がなかなか合わず、リハーサルは高円寺のスタジオにて深夜の時間帯に行われていた。自転車でスタジオに来るメンバーが大雪でたどりつけなかったり、山崎がリハ後に路上で仮眠を取ったりと、なかなか過酷な状況だった。
第二期ナミダロジックの爛熟期(2014年)
2014年1~4月 自主企画の成功と東京ヴェルディとの関係
2月1日、高円寺CLUBLINERで久しぶりのナミダロジック自主企画「青春プログレッシブナイトvol.3」を開催。出演は、オリンポス16闘神、地球コーラ、The JFK、river(ロマンチック日本代表!!!)。会場は満員状態でイベントは大成功。この日のライブでは、世紀末ハンバーグというフードが人気に。なお、このイベントより、ナミダロジックの自主企画では、後にドラムとして加入するmamo-TanakaがDJとして参戦。
2月初旬、Jリーグの東京ヴェルディのクラブ公式ソングを歌うバンド、AlegriAの2014年シーズンのボーカルにナカジマが抜擢される。この時期のAlegriAは、SEX MACHINEGUNSのANCHANGがギターを弾いていた。2014年シーズンに味の素スタジアム、国立競技場で行われた東京ヴェルディのすべてのホームゲームでは、試合開始前にAlegriAのナカジマとしてクラブ公式ソングを歌った。また、六本木morphで開催される東京ヴェルディ主催のライブイベント、ヴェルディナイトにも複数回出演した。
1stアルバムへの動きが加速
2014年春、今も所属するHIGH SUPREME RECORDS代表の馬目智之氏と、某音楽プロデューサーの紹介で知り合い、1stアルバムリリースへの動きが具体化。この年夏よりレコーディングを開始する。
2014年5~10月 特徴的なライブ活動を展開
5月10日、ザ・ポニーズの自主イベントで下北沢屋根裏に出演。一般客として来場していたTHE BLUE HEARTSのベーシスト、河口純之介氏にバンドの技巧をお褒めいただく。特に鹿内は「君のベース、上手いねえ」と褒められて有頂天に。
5月30日、六本木morph-Tokyoで開催された、東京ヴェルディ主催のライブイベント、Verdy Night Specialにナミダロジックとして出演。サポーター団体のメンバーを加えた6人編成でのライブも行う。
7月19日、高円寺CLUBLINERにて、ナミダロジックの自主企画「青春プログレッシブナイトvol.4」を開催。出演は、THE GUNPANS、9rocks、JunkBar、The 君に話すよ、アンネ、Daylink、廣瀬陽太(O.A)、mamo-Tanaka(DJ)という布陣。2月の開催に引き続き、場内は爆発的な満員に。なおこの日は、拳王ハンバーグの他、ナミダロジックの物販では「青春かき氷」も提供された。
また、2013~2015年にかけて、初台Doorsと渋谷Starloungeには、何度もガールズイベントに呼んでいただき出演している。
2014年秋に「おとぎ話」が完成し、以後定番曲に。
10月3日、渋谷ラママに出演。
2014年11月 1stアルバム「星間戦争」
紆余曲折あったものの、1stアルバムの「星間戦争」が完成。ジャケットは、漫画家の高田桂氏が手がけた。
2014年11月8日にHIGH SUPREME RECORDS主催のレコ発イベントが、巣鴨獅子王で開催される。レーベルメイトのすずきももこ、ココロフリックなどが出演したライブは超満員状態。ナミダロジックはトリの大役を仰せつかる。この日のライブの映像はYoutubeにて公開されている。
12月30日、池袋Admの年末イベントに出演。
第二期ナミダロジックの終焉
2015年1月~3月
ドラムの松岡徹が家庭の事情により、2015年3月いっぱいで脱退することが決まる。松岡を送り出すための自主企画を3月に開催することを決定。
1月7日、渋谷Star loungeにてBAND-MAIDと共演。
2月27日、学芸大学メイプルハウスに出演。爆風スランプ、X.Y.Z.→Aの和佐田達彦氏、丸山ももたろう氏と対バン。和佐田氏にバンドの複雑なリズムを「変態やな」と激賞される。
3月14日、新宿HEAD POWERにてナミダロジックの自主イベント「青春プログレッシブナイトvol.5」を開催。SEX MACHINEGUNSのANCHANG率いるザ☆メンテナンス、東京カランコロンのベーシスト佐藤全部氏が所属するちくわテイスティング協会、ザ・ロマンスジョー、アズキボタン、9Rocks、廣瀬陽太(O.A)、mamo-Tanaka(DJ)が出演。松岡徹を送り出した。
第三期ナミダロジック(ナカジマ、山崎義則、鹿内武蔵、淺井耕介、mamo-Tanaka)
mamo-Tanakaの加入により再始動
2015年春
松岡徹の後継者としてmamo-Tanakaが加入。これよりナミダロジックは第三期へ。公式発表前から事前にスタジオを重ねていたこともあり、新体制移行後すぐにライブ活動を開始。
4月20日、池袋Admにて新体制最初のライブを行う。この日のライブ映像はこちら。なお、この日は鹿内武蔵と淺井耕介はブルーハーツ女子としても出演しており、二人はダブルヘッダーでの出演となった。
4月26日、M3に出展。オリジナルグッズを販売するとともに、半径30メートル以内の複数箇所で轟音が鳴り響くという過酷な環境での演奏に、普段クールで物怖じしない淺井耕介も少し弱音を吐く。